はじめに
beatmaniaというゲームが世に出て広く知られるようになった1998年かそこらへん以降、この「ゲーム」は「DJシミュレーション」という呼ばれかたをしてきた。その結果、必ずといっていいほど次の問いが出てくる。
- このゲームやってたらDJになれるの?
- このゲームやっててもDJになれないんでしょ?
- このゲームやってるから俺はDJ
結論からいえば、個人的には上記に対しては全て「No」と言いたい。ただ「beatmaniaプレイヤーというだけでDJを名乗るな」という単純な話をしたいのではない。そもそも上記の問いそのものがズレているという話である。
※ズレ譜面の話ではないのでご容赦願いたい
そもそも「DJ」とは
beatmaniaがリリースされたこの時代の「DJ」と言えばRadioDJとかClubDJとかだった。
RadioDJなんかは「レコードをかけて曲紹介する人」なので誰にだってできる。なので「beatmaniaをやってたらDJになれるの?」という問いに対する答えは「Yes」である。
一方ClubDJは「複数枚のレコードをターンテーブルに載せて一枚の曲を流しながらもう一枚はモニタヘッドホンで曲を聞きながら頭出しをしつつ上手い具合に曲をつなげる」という技術が伴う空間設計技術職であったと思う。実際ClubDJからは当時のbeatmaniaについて「ターンテーブルはあんなに力強く回すもんじゃない(レコードの針が飛んでいくから)」などの実際のDJとどれだけ乖離しているか的な意見をよく耳にした。
この面から考慮すると、「beatmaniaをやってたらDJになれるの?」という問いに対する答えは断然「No」でしかない。
つまりこの時点で問いの前提が崩れている。
DJのハードルが下がった時代
さてDJ時代はレコードから「CDJ」に移り変わっていった。
パイオニアがCDJを出したのでレコードによるDJプレイではなくCDによるDJプレイが一般的になり、ピッチ調整や曲の頭出しは容易になった。
さらにDigitalDJ(PC+DJコントローラ)の出現により「DJ」というもののハードルがかなり下がったと思う。実際に俺も触ってみて「こんなに簡単に『それっぽいことができる』ようになったのか」と驚いた。「それっぽいことができる」までのハードルは確実に下がったと言っても間違いではないと思う。
ただここで出現したのが「DJコントローラに全てを任せて本人はその前でクネクネ踊ってるだけのDJ」だ。なんと呼ぶかは各個人に任せるが。DJコントローラに曲つなぎを全て任せ、なんとなくフェーダーを動かしたり各種ツマミを回す「フリ」をしてクネクネするだけの人種が発生したのだ。これを「DJ」と呼ぶかどうかは俺にはわからない。「DをJしてない」からDJだとは思ってないがこれもDJの姿だと偉い人が言うのならまあしょうがない。
同時に(同時かどうかはともかく)でてきたのは「曲に合わせてなんとなくターンテーブルをクネクネ回しているだけのDJ」だ。曲のテンポに合ってるかどうかはどうでもよく、ただ単に全力でクネクネしているだけの人も見受けられる。本当は「曲のテンポに合わせて回している」のかもしれないが、よほど有名なDJや商業レベルのDJでないかぎり「曲のテンポとズレている」ようにしか見えない。こちとら(beatmaniaプレイヤー)16.67msの判定幅に合わせてボタンを押して皿(笑)を回しているのだ。ちょっとズレただけでだいぶズレてるように聞こえるし見えるのだ。ここはもうどうしようもない。
上記のように「DJ」のハードルは下がる一方だったが、それでも「beatmaniaのプレイ」と「空間設計技術職であるDJ」(場合によっては空間設計技術職とは異なるDJ)には隔たりがある。「このゲームやってたらDJになれるの?」という問い自体がますます曖昧になっていく。
どこに違和感があるのか
長年違和感を抱いているのが、なぜbeatmaniaにだけ「DJになれるのか?」という問いが向けられ続けているのか、という点だ。
シムシティをやっている人に「市長になれるの?」と真顔できくだろうか。
A列車で行こうのプレイヤーに「鉄道会社経営できるのか?」と詰め寄るだろうか。
ときメモファンに「それで恋愛できるの?」と議論をもちかけるだろうか。
普通はそんなことしない。
なのにbeatmaniaは「DJ」というニ文字のおかげで未だに現実のDJと関連付けられる。
「DJ」というニ文字がついた瞬間に、人はなぜか急にゲームと現実の距離を測りたがるのだ。
「DJ」という肩書には一定の人間を本気にさせるなにかがあるらしい。
個人的には違和感はなはだしい。
名乗る・名乗らない問題
そして話はいつのまにか「DJと名乗っていいのか問題」にすり替わる。
そもそもbeatmania自体がプレイヤー名として「DJ NAME」という表記をしている。そのため「beatmaniaプレイヤーでしかない人」の一部がハンドルネームとして「DJ●●」と付けることとなり、それを本気の肩書と解釈して怒り出す人が出てくる。実際に身近にもいた。
ゲームの称号をそのままSNSで名乗る文化はオンラインゲーム界隈では珍しくはない。はず。
それでも「DJ」だけは妙な職業意識?選民思想?ミュージシャンとしてのプライド?など各個人によくわからないものが召喚される。これはDJというもののブランド力なのか。よくわからない。
なので俺は一貫して「CN(カードネーム)」と表記し、「DJ」を名乗らないことにしている。beatmaniaのプレイヤーであって、それ以上でもそれ以下でもない。ゲームをゲームとして楽しんでいるだけであり、ここまで書き連ねてきたような余計な喧騒と関わりたくないからだ。
結局
beatmaniaをやればDJになれるか?
なれるかもしれないしなれないかもしれない。やればなれるしやらなければなれない。
だが少なくとも「beatmaniaをやればDJになれるか?」「beatmaniaプレイヤーはDJか?」なんて雑な問いかけが20年以上にわたって残り続けているのは未だに馴染めない。
beatmaniaはただのゲームだ。
上から降ってきたノーツをジャストタイミングで押せば2点、ちょっと外れれば1点、それ以外は0点で合計スコアを競うだけのただのゲームだ。
KONAMIの音ゲーには他にも「ギターフリークス」「ドラムマニア」「ダンスダンスレボリューション」などがあるが、それぞれのプレイヤーが「ギタリスト」「ドラマー」「ダンサー」を名乗っているのを見たことはない。beatmaniaにだけ「DJではない」「俺はDJだ」というリアリティ判定が繰り返され生き残っているのは興味深くもあり
そしてただただ滑稽である。
